東京高等裁判所 昭和58年(行ケ)72号 判決
一 請求の原因一ないし三は当事者間に争いがない。
二 本願第一発明の効果
1 第一発明の目的とその特許請求の範囲の解釈に関する請求の原因四1は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証(昭和五三年三月二〇日付本願発明の手続補正書)によつて認められる本願発明の明細書の発明の詳細な説明の項の記載によれば、第一発明の特許請求の範囲は右当事者間に争いがないとおりに解釈することができる(もつとも、このように解すると第一発明と本願特許請求の範囲第三番目に記載された発明との区別が困難になるが、このことは別個に解決すべき問題であり、右解釈を妨げるものではない。)。また、半導体ウエハの切断に際し回転するブレードを用いることが半導体技術分野では公知であり、このようなブレードによる半導体ウエハの切断工程において切削時に切削屑が生じ、これを除去するように配慮しなければならないことが当業者間において自明であつたことも当事者間に争いがない。
2 成立に争いのない甲第九号証(特に添付のD01、D11A、D11B、D12A、D12B、D13A、D13BとD03、D31A、D31B、D32A、D32Bの各写真)によれば、切削部に冷却水を供給しながら回転するブレードにより板状物(半導体ウエハ)表面を切削して切溝を形成するダイシング方法において、前記争いのない解釈による第一発明の特許請求の範囲記載の方法、即ち半導体ウエハの全表面に洗浄水の流れをつくりながら切削を行い切削屑がウエハ表面に付着する以前に右の洗浄水の流れによりこれを除去する方法と切削時に洗浄水を流さず切削後に洗浄水を流すことにより切削屑を除去する方法を対比すると、前者の方法ではウエハ全表面に切削屑がほとんど残存せず、ごく僅かに残つた切削屑も超音波洗浄することによりほぼ完全に除去できるのに対し、後者の方法ではウエハ全表面に冷却水により湿つた多量の切削屑が残存して付着し、切削後に洗浄水を流してもほとんどこれを除去することができず、その後に超音波洗浄を行つてもその一部が除去されるにすぎないことが認められる。
この事実によれば、半導体ウエハの前記ダイシング方法において第一発明による方法が切断工程終了後に洗浄水を流す方法に比し、格別顕著な洗浄効果を得ることができるものということができる。
3 被告は、第一発明による右の作用効果は微細な構造の集積回路或は大規模集積回路を多数含む半導体ウエハ(以下「集積回路用半導体ウエハ」という。)に特有の問題に関するものであつて、本訴において原告が提出した技術説明書に基づくもので、明細書の記載に基づくものではない旨主張する。
前掲甲第九号証によれば、集積回路用半導体ウエハは表面に配線等による微細な凹凸を有することが認められるところ、原告が主としてかかる半導体ウエハについて第一発明の効果を主張していることは弁論の全趣旨に照らし明らかであり、右甲第九号証による限り、第一発明は集積回路用半導体ウエハについて特に有効に作用するものであると認めることができる。
前掲甲第三号証によれば、右補正書には「回転するブレードによるダイシング方法では、切削局部に発生する熱を冷却し、同時に、切削シリコン屑等が切削局部につまることを防止するために、この部分に冷却水(または潤滑液)を絶えず供給しながら行なうが、その場合冷却水と共にはじき出されたシリコン屑等の切屑が半導体ウエハ上面に移転し、これが付着してウエハ表面を汚すという問題があり、実用化が困難であつた。」(五頁一三行ないし六頁一行)との記載が認められるにとどまり、また、成立に争いのない甲第二号証(本願発明の公開公報)の一頁右欄二〇行ないし二頁左欄七行にも同旨の記載があることが認められるものの、他に右甲第二、第三号証、成立に争いのない甲第四号証(昭和五五年四月三〇日付本願発明の手続補正書)によるも集積回路用半導体ウエハに対する切削屑付着及びその除去に関する課題につき具体的に説明した記載を見出すことはできない。
しかし、表面に配線等による微細な凹凸を有する集積回路用半導体ウエハを回転ブレードによるダイシング方法で切削するに当たつて、スクライビング方法に比し多量で微細な切削屑が生じ、これが右凹部内に一旦はまり込むと切削後に流水により洗浄しても超音波洗浄してもこれを除去することができないということが集積回路用半導体ウエハにとつての課題であること自体被告も認めるところであり、右半導体ウエハの切断工程で生ずる微細な切削屑がかかる凹凸部分に付着しないよう配慮する必要があることは当事者間に争いのない前記自明事項からみて当業者間において認識されていた周知の課題であるということができる。
ところで、前掲甲第二ないし第四号証によるも、第一発明を含め本願発明が対象とする半導体ウエハに特段の限定があるとは認められないから、被告の指摘する集積回路用半導体ウエハもその対象に含まれているということができる。したがつて、本願発明は集積回路用半導体ウエハに関する前記のような周知の課題をも当然の前提として、切削時に生ずる切削屑の半導体ウエハへの付着防止又はその除去の方法について研究開発したものというべきである。
そうであれば、前記認定の第一発明の効果が本願の明細書の記載に基づかないとの被告の主張は理由がない。
三 本願第一発明と引用例一記載の発明との対比
1 引用例一に記載された発明の内容、右発明と第一発明の一致点及び相違点が審決摘示のとおりであることは当事者間に争いがない。
2 原告は、両発明の切削方法が冷却水使用の有無の点で相違しているのに、審決はこの点を看過した旨主張する。
審決が、第一発明が回転ブレードによるダイシング方法であり、引用例一記載の発明がダイヤモンド針によるスクライビング方法である点において両者が相違していると認定していることは前記のとおりである。しかして、成立に争いのない乙第一号証(「精密工作便覧」一九一頁ないし一九五頁、昭和三一年二月株式会社コロナ社発行)によれば、研削作業において砥石と被加工物面との間の摩擦熱、砥石の砥粒が高速度で被加工物に激突してこれを破壊するために生ずる破壊熱が生ずるため、これら切削熱を冷却する必要上、空気、水溶液系統、乳化油系統、不溶性系統の研削油剤を用いることが本願出願前周知であつたと認めることができる。この事実によれば、第一発明においても、回転ブレードにより板状物を切削しているものであるから、冷却水等により切削部に発生する切削熱を冷却しなければならないことは自明であるといえる。他方、成立に争いのない甲第五号証(引用例一)によれば、引用例一のスクライビング法は冷却水を使用しない切削方法であることが認められる。したがつて、審決が前記のように両発明の相違点としてその切削方法を摘示している以上、切断工程において冷却水を使用するか否かも相違点として摘示したものと解せられ、この点に関し審決には原告主張のような相違点の看過はないというべきである。
3 ところで、第一発明も引用例一記載の発明もともに半導体ウエハ切削方法及び切断工程中に生ずる切削屑の除去方法に関するもので共通の技術的課題を有するものということができるが、前記のようにその切削方法が異なるため切削屑除去の具体的手段において自ずから相違がみられる。
すなわち、第一発明では前記のように切削部に冷却水を供給しつつ回転ブレードにより切削するのであるから、冷却水のため湿気を帯びた切削屑を洗浄水の流れによりウエハ表面に付着する以前に除去するという構成を採り、その効果を奏している。これに対し、前記争いのない事実及び甲第五号証によれば、引用例一ではスクライビングにより生じた切削屑が静電気を帯びており、これがウエハ表面に付着すると拭つたり空気を吹付けたりするだけでは除去しにくいため、電離輻射線6を照射して切削屑の飛散領域の空気を電離させることにより、帯電した切削屑を放電させて中性化しその付着力を弱めたうえ、送風器7によりウエハ表面より切削屑を吹飛ばす方法を採択したものであるが(別紙図面(二)参照)、電離輻放線の照射及び空気の吹付けはスクライビング中又はその終了後のいずれでもよいとされていることが認められる。
かように回転ブレードによるダイシング方法の第一発明は切削屑を洗浄水によりウエハ表面に付着する以前に除去するものであるのに対し、ダイヤモンド針によるスクライビング方法の引用例一記載の発明は切削屑を電気的に中性化することによつて付着力を弱めてウエハ表面から除去するものである点において両者は相違するのであり(審決摘示の相違点もこれと同趣旨と認められる。)、後者が前者の「洗浄水の流れによる切削屑のウエハ表面への付着前除去」という技術思想を示唆していると認めることはできない。
四 引用例二及び三記載の発明からの容易推考性
1 引用例二記載の発明の内容が審決摘示のとおりであることは当事者間に争いがなく、この事実と成立に争いのない甲第六号証(引用例二)によれば、引用例二に記載されている「レーザ加工装置」は、被加工物3をレーザ光1により切断溝切り加工するに際し、被加工物から噴出する気体、液体4の一部が、レンズ2を保護するガラス板或はプラスチツク板5に付着しこれを汚染してレーザ光を吸収し又は散乱させて加工特性を劣化させるのを防止するため、被加工物の加工面に近接し、かつレーザ光に垂直にノズル6から液体を高速噴射して、付着しようとする汚染物を除去するようにした発明であると認められる(別紙図面(三)参照)。
この事実によれば、引用例二記載の発明は溝切り加工による汚染物(第一発明の切削屑に相当する。)を高速噴射液(第一発明の洗浄水に相当する。)の流れにより除去するものではあるが、その課題はレーザ光を透過させるレンズを保護するガラス板又はプラスチツク板の汚染防止にあり、第一発明のように被加工物(半導体ウエハ)自体の表面に被加工物の溝切り加工により生じた汚染物の付着を防止することにあるものでないものということができる。
2 引用例三記載の発明の内容が審決摘示のとおりであることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第七号証(引用例三)によれば、引用例三に記載されている「半導体インゴツトの切断装置」は、回転保持体1に保持された砥石保持体12に、内周面に切削部を有する環状砥石15が支持されており、移動装置17に保持された取付台16に取付けた半導体インゴツト18を水平方向に移動して環状砥石15の内周面によつてインゴツト18を厚さ二〇〇ないし四〇〇ミクロン程度の薄片(ウエハ)に切断するもので、この場合ウエハの切断枚数が増すにつれてインゴツトの切削屑が砥石の回転による遠心力のため回転保持体1の内周面に不均一に付着し、回転保持体1に対して重畳的にアンバランスを生じさせる結果、砥石15自体が異常振動させられ、ウエハに衝撃を加えて破損させたり、ウエハの切断精度を悪くするに至るので、回転保持体1の内周面に洗浄液供給管22、23、32、33の先端を臨ませ、洗浄液を噴射供給することによつて回転保持体1の内周面に付着した切削屑を除去し右の異常振動を防止するようにした発明であり(別紙図面(四)参照)、右の洗浄は間欠的、連続的のいずれであつても付着切削屑の除去の効果を奏するものであることが認められる。
この事実によれば、引用例三記載の発明は回転保持体の内周面に一旦付着した切削屑(第一発明の切削屑に相当する。)を洗浄水(第一発明の洗浄水に相当する。)により除去することによつて回転保持体に取付けられた環状砥石の異常振動を防止しウエハの切断精度を維持することを目的とするもので、洗浄水の供給は間欠的、連続的いずれであつても右目的に添う効果を生ずるものであつて、第一発明のように、常時洗浄水を供給することにより半導体ウエハ自体の表面にその溝切り加工により生じた切削屑が付着することを防止することを課題としているものではないということができる。
3 右に述べたところによれば、前記のような半導体ウエハ切断に回転ブレードを用いることが公知の技術であり、また、切削時に生じた切削屑除去の必要性が自明であるとしても、引用例二及び三記載の発明には第一発明の引用例一との前記相違点を示唆する技術思想はなく、その目的、効果も第一発明と異にするから、前認定の第一発明の効果を併せ考えれば、右相違点が右両引用例記載の発明から容易に推考し得るとした審決の判断は誤りであるというべきである。
五 審決は第一発明の進歩性を否定したのと同様の理由で本願の他の特許請求の範囲二ないし六記載の五発明についてもその進歩性を否定したが、右のように第一発明についての判断が誤りである以上、本願の他の五発明についての判断もまた誤りである。
六 審決の以上の誤りはその結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、審決は違法なものとして取消を免れない。
よつて、原告の本訴請求を正当として認容する。
〔編註その一〕 本願発明の特許請求の範囲は左のとおりである。
1 切削部に冷却水を供給しながら回転するブレードにより板状物表面を切削して切溝を形成するダイシング方法において、上記板状物の全表面に洗浄水の流れをつくり、切削屑を板状物表面から流し去ることを特徴とする板状物のダイシング方法。(別紙図面(一)参照)。
2 特許請求の範囲第一項記載のダイシング方法において、洗浄水を板状物に対し水平または斜上方から流すことにより板状物の全表面に洗浄水の流れをつくり、切削屑を板状物表面から流し去ることを特徴とする板状物のダイシング方法。
3 特許請求の範囲第一項記載のダイシング方法において、上記板状物の全表面に洗浄水の流れをつくりながら切削を行い、切削屑が板状物表面に定着しないように流し去ることを特徴とする板状物のダイシング方法。
4 特許請求の範囲第一項記載のダイシング方法において、上記板状物の全表面に洗浄水の流れをつくりながら切削を行い、切削屑が板状物表面に主としてはじき出される方向と上記洗浄水の流れる方向とを一致せしめ、切削屑を板状物表面から流し去ることを特徴とする板状物のダイシング方法。
5 特許請求の範囲第一項記載のダイシング方法において、上記板状物の全表面に洗浄水の流れをつくりながら切削を行い、切溝を形成してゆく方向と上記板状物の全表面に形成する洗浄水の流れの方向とを一致せしめ、切削屑を板状物表面から流し去ることを特徴とする板状物のダイシング方法。
6 板状物表面を切削して切溝を形成しうるように構成された回転ブレードと、この回転ブレードにより切削される板状物の切削局部に冷却水を供給する機構と、切削屑を板状物表面から流し去るように板状物の全表面に洗浄水の流れをつくる機構とを具備してなることを特徴とするダイシング装置。
〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙図面(一)
<省略>
別紙図面(二)
<省略>
<省略>
別紙図面(三)
<省略>
別紙図面(四)
<省略>